江國香織 II
がらくた、読みました。ついでに象の背中も。
一気に2冊読みました。夫の当直の夜と子供の登校日の合間にね。
タイトルは著者の名前にしたけど,,,。
いつもこの人はそうなんだけど、特別な感慨をもたせないの。
独特な空気感の余韻が残る。
時間の経過、通過点、それを作者と一緒に体感した,そんな感じ。
疾走感だけ。それもまさにエグニカオリ流の。
意外にも象の背中。やられた。
どうして秋元康なんかの小説を買ったか.この秋に映画が公開されるんだけど,
役所広司と今井美樹なんだ。
だから。
最後は泣いた。わかってても泣いた。
はっきり言おう。ベタだ。
フツーすぎて凄いくらい。フツーさに圧巻。
フツーの倫理観。フツーの道徳観。そしてフツーさに泣いた。
すごすぎるフツーの常識的な男と女のプライドと想いやり。
つまり、想像しやすいってこと。
たやすく登場人物達になりやすいってこと。
だから、売れる。だから、映画化される。
多くの人の共感を(?)得るというのは、すごいけど、
秋元康の場合,狙って撃ってきた?感が残るのが少し残念。
泣いた割に.いや、泣かされたせいか,少し斜め。
M
4 Comments:
自分で自分へコメント.
Mimiが言ってた狂ってる?って所。
何一つそう思う場面は無かった。
いつもの通り,すごく自然に事が運んで行って私もそうすると思う。
悲しいかな,言葉でのコミュニケーションに本当に興味が薄くなってる。
言葉で夫とうまくやろうとしているなんて。
そのレベルでなんとかやりすごそうとしているってこと.出し惜しみなのか、もうそのドアは開きづらいくなってるのか。
あの空気感の中に漂う感覚が好きなの。
強い感動とか特別な感慨とか残さないのに、
いつまでも残るあの余韻。
私はただあの雰囲気にフワフワ浮いてるだけで幸せ。
でも、現実はそうじゃないでしょ。
現実の世界では、不倫とか、15歳と40歳のsexなんて、ドロドロだし、割り切れない汚い感情に満ちてるはず。
ドロドロのドラマをフワフワにサラッと描いてて何も残さないのがいい!
Mも、言葉でのコミュニケーションに興味がなくて、ノンバーバルメインにしてるってこと?
Jも確かそういってたね。
夫婦って長年経つと、言葉が通じなくなるものなの?
そもそも、Jが言ってた、言葉が通じなくなったっていう意味がよくわからなかったんだよね~。
ノンバーバルが大事ってことはわかるんだけど・・・
mimi
うん,,,。そういえば,うちも言葉が通じていないわ。いや、、、それは結婚前から知ってた。この人は通じないというより,採用すらしていない人だって。
くわがた取りに行くでしょ。遠くから,緑の感じでわかるんだって。ここにいるって。その近くに車止めて近づくと,臭いと音でわかるって。樹液の香りとすずめばちの羽音。そういう事。
私の事もそう見てるの。家にはいった瞬間の雰囲気や目が合った瞬間の目つき,表情で相手がどんなじょうたいでいるかを見てるの。その感じさえ良ければ,何言っても 何聞いてもOK. でも、少しでも立ち居振る舞いに投げやりさやめんどくささを感じさせると,彼のシャッターがすぐに降りてくるのね。一度降りると開けるの,本当に大変。
あ、私、言葉だけでやり過ごそうとしていないってことじゃん。アハ。
そんな感じ。言葉も大事かもしれないけど、それ以上に心が瞬時に伝わるってことじゃないのかな?
M
言葉が通じなくなった、というのはわたしの感覚としてであって・・・よくいう、結婚前は両目をあけて、結婚後は片目をつぶって、ってやつと意味は同じです。自分と一致しない部分ばかりが見えてくる結婚後では、わたしを分かってよ、的なコミニュケーションは無意味だと気づいたのです。
もちろん話し合いは必要。でもその前に日頃のスキンシップや相手を思いやる態度が下地となり、今ここんとこがうまくいかないんだけど手伝って、とか具体的な話ができる。それだけじゃなく、話がもつれてぐじゃぐじゃになったときにも、今日はもうsexして明日考えようとか。
ノンバーバルやノンバーバル的視点というか、最終的に全て解決しないでもいいと自分に言い聞かすとか、いろいろやってみたら、なんとなくいい加減でゆるやかに日々が流れていってる。
言葉は言霊だし大事にしてる。でも言葉で説明できないこともいっぱいある、病名のない病みたいな。だから言葉を100%は信用してない。言葉だけで考えない。
と言葉で説明しただけではうまく伝わらないかもしれませんが。
J
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