えいごは大事、でもそれよりも。
いつか、夫に上海に仕事で行きたいと、本気で話したとき,
「そこまでしなくても、今の日本でできることもたくさんあるから、それをさきにするべき」と言われ,納得したことがあります。
上海は中医学がやりたくて、日本人専用クリニックにエージェントを通して志願していました.
英語。
英語を子供にそこまでして習わせて、、。って本当はあります。costにたいするeffect が不明と考えるか,未知数ととらえるか.でも、彼に関しては異なる言語を見聞きし,異なる人種と当たり前のように日常会うというのは、脳にも情操面にも刺激があるのでは???と思います.だって、何より,親が面白がってる!!自分でもドキドキするようなこと、子供にもしらせたくて仕方ないのです.
この前立ち読みした新書で「えいがをやるとバカになる」(詳細は忘れた)というのがありました.
内容は納得の納得.題名は過激にしてあるけど内容はいたって常識的なものでした.
拾い読みですが,
*日本語ができるのに母国で成功しない人が、英語ができるというだけで、成功するはずがない.
*今まで母国語だけで国が成り立ってきたという歴史を持つ国は少ない.
日本は外国の干渉から免れたからこそ、自国独自の文化がある。
もう、ここまでで、ウ〜〜〜〜ン!と考え込みました.
そして発想の転換.私は日常会話程度はできます.えいごで仕事するわけでなく,交渉や契約書つくるわけでもありません。もう、skillをbrush-upするのではなく、日本の文化を学び始める時では?ということ、でお茶のお稽古を今度見学しに行くことにしました.連れてってくれる人はお着物で行くそうなので、これを機会に私も、、、、と、着物を着る練習をしています。
それに佐賀でやってることもある意味、日本ではここでしか習えないことです.漢方も鍼も気功もマクロビオテイックも着付けもお茶もお経も、本だって日本語で書いてあるし、先生だっているし、やろうと思えば,何不自由なく始められるのです.これはすごいことなんだよね。
でも、本当は。そういう日本独自、そしてなになに独自という言葉にとらわれず、いいものはいい!というスタンスが私としては大好きなの.時代や物理的距離に関わらない普遍的な価値が何かしら潜んでいるように思います.
久子先生にお会いしたときに思いました.日本人らしい感性や繊細さ、そしてお使いになる日本語も素晴らしい.でも、アメリカで生き抜いた先生の輝かしい歴史によって、思考パターンは完全にアメリカ人.日本人はそういうやり方だと,トラブルになるな〜〜〜.と密かに感じてました.その国の人,価値観というのは、本人の思いとは関係なしに肌にしみいってくるものではないでしょうか?
それなら、やはり、日本で育った私が日本の文化をやることは、何より私にとって意味のあることだろうし,今後お友達になるかもしれない外国の方々に私の言葉で何か伝えられたら,いいなって思います.
今の日本では吸収するべきものっていくらでもある!という視点に立てた私の幸せ感をお伝えしました!!!!!!
1 Comments:
そうそう、と納得しながら読ませていただきました。しばらくぶりだけど,みなさんお元気?
キャンプでは乗り遅れて不完全燃焼って感じだったけど、子どもたちはと~っても楽しんだようです。仲間たち、ありがとね!
相変わらずお稽古事の付き添いに明け暮れる日々です。子どもたちは勝手気ままに動き回り、その見張り役というか・・・・。
by A
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